自己分析にはいろいろな方法があります。
その一つに、自分自身が「何に感動するのか」というところを使う方法です。
もちろん、音楽を聞いたり、自然を見たりといった中で感動する「理由のわからない感動」もあります。
そこから見つけるのは難しいので(もちろん、深堀することで見つかることもあります)、自分自身が、映画やドラマ、小説、スポーツなど、自分自身が何を見て感動したのか、「理由」がはっきりしていると、案外自分の求めているものが見えます。
感動は人の数だけあると思いますが、私をサンプルに一例を書いてみます。
例:過去の偉人の行動に心を打たれる
過去の偉人の話を読んだり、動画で見たりしたときに感動するようなこともある人もいると思います。
最近の例で言えば、終戦間際の沖縄県知事の島田叡(あきら)さんのドキュメンタリー番組を見ることで感動しました。
この島田さんについて少しお話します。
終戦間際、沖縄に米軍が上陸することが予想されており、空襲も激しいことから、知事をはじめ、多くの幹部職員が沖縄から出張という名目で逃げだしていました。
そんな中で、1945年1月、島田さんは多くの官僚達が沖縄県知事の打診を断る中であっさりと引き受けています。
その少し前の1944年10月10日に街の9割が消失した「10・10空襲」もあり、既に大きな被害が出ている県へ赴任するということは、「死」と隣合わせになることは容易に想像できたはずです。
それでも、島田さんは「兵隊が赤紙一枚で戦地に行くのに、俺は死にたくないから誰かが行って死んでくれとは言えん」という言葉を残していたそうです。(「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡 ポプラ新書」より抜粋)
沖縄に赴任し、沖縄の県民のために尽力されるわけですが、この具体的な行動に感動したわけです。
これは私の例ではあるのですが、こういうことに感動する人というのは、「自分をかえりみず、人のために尽くすこと」ここに価値を置いているということがわかります。
なぜ、ある行動に感動したのか、それがその人を動かす、原動力になるという例です。
この島田さんのような行動に感動する人は多いとは思いますが、それでも、感動する理由が異なれば、それはまたその人の原動力となるものは異なっていると考えられます。
感動した、というのならば、「何に感動したのか」ということを「言葉」にしてみてください。
例:音楽やダンスなどに感動する
音楽といっても、理由のわからない感動ではなく、感動する理由がはっきりしている場合もあると思います。
例えば、あるPVを見たときに感動しました。
そのアイドル達が、一糸乱れぬダンスをしていることを見たとき、「この人たちはどういう思いで、ここまで仕上げるのにどれだけの努力をしたのだろう」ということに思いをはせて感動したわけです。
つまり、「努力をしつづける、決してあきらめない姿勢」に感動したということは、自分自身も、そのように生きていきたい、そこに価値を感じているということです。
感動するポイントというものは、同じものを見ても感動する理由は人によって異なります。
その理由をはっきりさせると、自分の目指すところやどのように生きたいのかがわかります。
まとめ
これは一つの方法ではありますが、自分が何に感動するのか、どういう理由で感動するのかを見つけると自分が見えます。
その感動というのは、必ずしも、映画などの感動だけでなく、自分に起きたできごとで何かが悔しくてというようなことでもヒントになります。
自分の生活において、何に一番心を動かされたのか、そしてその理由はなんなのか。
これを何かに書き出してみてください。
別に涙するようなことだけでなく、例えば「この人はすごい」とか、「こういう方法もあるのか」というような、自分が「心を動かされた」という体験の中に自分のヒントが隠されています。「この人はすごい」と感じたのであれば、なぜ、「すごい」と思ったのか。
同じ行動でも、「すごい」と感じない人だっています。
「すごい」と感じた理由はなんでしょうか。
自分の「心を動かされた体験・経験」には見えない自分の意識が出ています。